2006年09月07日

そして・・・

次男君(0歳10ヶ月)の記憶には留まらない(留まるはずのない)、人生初の(10ヶ月でもいっちょまえに人生・・・)夏休みがあけて久々の保育園登園。
長男君とは全く違い、しっかり人見知り・場所見知りする彼は久々の保育園で私から離れたがらず号泣。
「ちゃんと迎えに来てやっから、がんばれよ!(微笑)」と号泣のわが子を尻目に朝の別れは全然つらくない母親のオイラ。むしろ久々の身軽がうれしくてたまりま千円!
と・・・。
唯一の男性保育士さんの様子が少し違う。
あれ?どうしたんだ?
彼は口髭とあご髭を軽〜くたくわえておった。
い・・・、イメチェン!?
ちょ・・・、チョイ悪(ワル)???
チョイワルおやじ狙ったとですか!?
保育士さんに「チョイワル」は必要ねーだろ!と心の中で突っ込みつつ少し微笑んでしまいました。
彼なりの「オレ革命」だったのかもな・・・。
数日後、評判が悪かったのか、同僚、もしくは上司に何か言われたのか、彼の髭はすっかり
姿を消していた。
ほっとけばいいのに思わず、「Tさん、(うちの保育園は「○○先生」ではなく名前で呼ばせている)髭・・・チョイワル、おしまい?」と聞いてまったオイラ。
彼はバツが悪そうに「う・・・うん・・・」と言いました・・・。
なんだか夏休み後に髪染めてたり、制服の様子が変わっている中学生が咎められて少し反省・・・みたいな返答に微笑を禁じえなかった。
それぞれの夏が終わる・・・(合掌)
posted by ヴー1 at 23:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年の夏休みVol.4

諸事情により実家には泊まれないので、2,3時間顔を出した後、高校時代の友人の家にお世話になった。
中一男子と小5女子のケンカ盛りの2人の子を母親1人で育てている。
家の長男君はやさしいお兄ちゃん(しかもかなりの好男子)にすっかり魅了され、一緒にゲームをしたり近所の公園に連れて行ってもらったりで大満足。ちょっと個性的なおもろいお姉ちゃんにも可愛がられ幸せなひと時を過ごした。
チビを寝かしつけているうちに自分も寝てしまった連れを尻目に深夜まで女同士のおしゃべり・・・で私もとても楽しかった!ありがとう、N美!文化系とは思えないほどの激しい部活で三年間大道具を一緒にやった戦友のような友だ。結婚・子育て・仕事・離婚・・・色々あったね。大変だろうけどすっきりした迷いのないかっこいい、いい女になっている。
たったの一泊だったけど濃かった・・・名残惜しかったよ。
函館に向かう車の中で、長男は別れが淋しくてうるうると泣いていました・・・。
また船に乗り青森→山形へ。
ここでは私の叔父(母の6人兄弟うちの末っ子)の家泊。
行く度にしこたま酒を飲まされ(もしくは自主的に飲んで)相当酔っ払う。
17歳しか違わない年の近い叔父なので毎回毎回アニキのようなお説教。
そして帰りに必ず家の連れに
「ホンダくん・・・、こいつホントによろしくな・・・。」と頼みます。
わしゃ、よっぽどいつまでたっても、彼の中ではハナタレのガキらしい。
もう37ですが!
翌日は連れの母方の祖母のお墓参りと、父方の実家にも顔を出し、言葉が理解できず(泣)
相変わらずひたすら謎めいた微笑みを終始浮かべておりました・・・。
なまってるんだもの・・・果てしなく・・・。
父方の祖母は御年98歳!!!
いまだに足腰もしっかりとし、シャンとしておられる。
少し耳が遠いが、それほどなまってもいないし(気を遣ってくれてるのだろう)、しっかり話ができる。
数回しか会ったことないけど、いつもあたたかく迎えてくれて、これまた大好きなおばあちゃんです。
あと2年で100歳!
そのときは盛大にお祝いしようね!
帰りには取れたての葡萄を持たせてくれた(号泣!!)。
長男君は楽しかった夏休みがもう終わりだということで(疲れもあったかも)、帰りの東北自動車道ではわりと沈みがちだったが、彼にとっては、そしてわたしにとっても今回はとてもいい、思い出深い夏休みとなりました。
だが、大変長らく職場を空けてしまって、みなさん、すんません!
おみやげ、マルセイのバターサンドで許してもらえたかしら・・・?
夜遅くに帰り着いたのだが翌日から早速仕事でした。
東京は暑い!!!

posted by ヴー1 at 00:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 非日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月01日

2006年の夏休みVol.3

懐かしさに胸いっぱいの北桧山を後にした我らは一路、苫小牧へ。
同窓会を優先してしまったので私の母方の祖父の法要自体には出られなかったのだが、
せめて仏壇にお線香を、そして大好きなおばあちゃんに会いに・・・。
 
私は苫小牧のおばあちゃん、母方の祖母が大好きである。
御年85歳。
1人暮らし。
 
次女(私の母)・夫(祖父)・長男(叔父)に先立たれ、それは大変な不幸だと思うが、なんとか1人でがんばって生きている。
 
子供の頃の夏休みといえばたいていおばあちゃんの家に長期滞在しておった。
料理が上手で、私はおばあちゃんの作るパンと煮物が大好きでいつもリクエストしていた。
母が意外に食には厳しくて、インスタント系のもの・お菓子・ジュース等はわりと禁止だったので
おばあちゃんの家に行ったときはここぞとばかりに食べさせてもらった。
あと当時苫小牧にはマックがなかったのでド○ド○バーガーとか!
私が小さい頃はまだ働いていたが、時間を作って本当によく面倒を見てもらった。
 
戦後、夫と子供と共に樺太から引き揚げて来た彼女は、その後ずーっと働きながら6人の子供を育て上げた。
祖父は頭のいい、先見の明のある人であった。
太平洋戦争は間違っていたと考え、教育を大切にし、貧しかったのに当時めずらしく6人全員を大学まで、あるいはそれに匹敵する高等教育を受けさせた。
「女は嫁に・・・」という人では決してなかった。
むしろ「これからの時代、今までまともな教育を受けられなかった女の子にこそ教育を!」という考えの持ち主だったという。
いつも人のためになる仕事を好み、未来を担う子供を大切に思い、教育委員会の委員長もしていたことがある。
そして政治にうるさい人だった。もう二度と間違いは起こさせまい!という気持ちだったのだろうか。
私の父は新聞社で長年政治経済を担当している記者だったが、政治論になると「お義父さんにはかなわない・・・」としょっちゅう言っていたらしい。
 
孫にも厳しかった。
おばあちゃんはやさしくて大好きだったけど、おじいちゃんはなんとなくコワい・・・といういうのが子供の頃の印象だ。
でも山や川に連れて行ってもらった。
虫のこと、動物のこと、教えてもらった。
手作りのおもちゃも作ってくれた。
職業柄、父親がわりと不在な私達にとっては「外のおとうさん」のような感じだった。
いつも本気で怒ってもらった。
実際、家庭の事情で私のすぐ下の弟は2才まで祖父母に育てられている。
 
母が亡くなったとき、あんなに怖かったおじいちゃんが泣いた。
「紀子(母の名)が死んだ、紀子が死んだ・・・」と一晩中泣いていた。
直後にいわゆる「ボケ」が始まり、一年後に母の後を追うようにして亡くなった。
しっかりもので、おばあちゃんの代わりに妹や弟達の面倒を見、いつも明るく決して愚痴を言わず、太陽のような存在の娘の死は、祖父にとって相当な痛手だったのだろう。 
 
13年・・・。
 
おばあちゃんはありがたいことに今も元気に1人暮らしだよ、おじいちゃん。
もっとあなたと大人の話をしてみたかった。
若い頃はすごくハンサムだったよね。
 おばあちゃんは最近疲れやすくて、ちょっと人生をはかなんでいます。
私はもっともっと長生きして欲しいから、どうか、おばあちゃんを見守ってください。
法要には出られなくてごめんなさい。
おじいちゃん、曾孫だよ。
この私が子供なんて産んじゃってるよ!
信じられないでしょ!?
私の子供も天国から見守ってね。
 
お線香を上げながらそんなことをつらつらおじいちゃんに言いました。
posted by ヴー1 at 00:10| Comment(2) | TrackBack(0) | 非日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。